活動報告@同志社山岳同好会

同志社大学の公認団体【同志社山岳同好会】の活動などを報告しています!

熊野古道活動報告

イブ祭熊野古道


こんにちは山岳同好会2回の金澤です。今回は11月26、27日に行われました熊野古道

報告をさせていただきます。

 

(メンバー)

CL 久冨木優亮2回

SL 金澤仁2回

記録 田口弘樹1回

 

(行程)

11月25日

18時新町ボックス出発

11月26日

5時大門坂駐車場着—8時大門坂駐車場出発—11時那智高原公園到着

11月27日

3時那智高原公園出発—10時小口到着—12時小口出発—18時熊野本宮大社到着

 

 

1日目

 

 

8時 大門坂駐車場出発

出発してすぐに石畳の道が始まり熊野古道の始まりを感じる。

 



 

 

 

 

9時 熊野那智大社到着

森と那智大社が美しく調和し、日本古来の自然の姿や、物体の調和関係における不完全さやはかなさといった雰囲気を感じる。

ここから、少しずつ天気が崩れ始めました。

 

 

9時30分 那智の滝到着

道を歩いていくと、遠くの方から”ゴー”という音が響いてくる。さらに足を進めていくと、杉と杉の細い隙間から、薄黒い空から真っ白なまるで糸を紡いでいるかのような滝の様子が見えた。滝に近づくごとに音は大きくなっていった。滝の下に着くと、黒々としたその大きな岩壁を半分霧状になった真っ白な水がたたきつけている”あぁ、これが那智の滝か”と僕はそのあまりに巨大な滝を眺め、立ち尽くしていることしかできなかった。それは、あまりに巨大で、美しく、そして力強かった。

 

 

12時 那智高原公園到着

かなり早く1日目のキャンプ地に到着。天気がかなり悪化し雨が降っていたので東屋の下にテントを張る。服もずぶ濡れになってしまい、かなり寒い。が、ともかくも今日の目標は達成した。散歩ついでに近くの神社まで参拝に行ったが服がさらに濡れてしまった。まだ、時間が早いのでキャップ投げをして時間をつぶそうとするが時計の針がなかなか進まない。弘樹が徒然草を読んでいる。博識だ。自分も本の一冊でも持ってくれば良かったと後悔する。こう暇になると腹が減ってくる。しかし、食料は最小限しか持ってきていないので我慢して、この永遠とも思えるような空腹と暇を耐え続ける。いや、もう無理だ”寝よう”と僕は思う。午後3時にしてテントに入り目を閉じた。”ボーボー”という轟音で目が覚める。猛烈な雨風がテントを打ちつけているらしい。頭上に置いた腕時計を取り時間を確認する。まだ、午後6時だ。おなかが鳴る。”ご飯にしよう”と言い、2人とテントを出た。東屋の内側に雨が入り、水浸しになっている。服も濡れ、さながらサバイバルの様相を呈している。コッヘルでお湯を沸かし、アルファ米のパックに注ぎ込む。お湯特有の低い音を立てながらパックの内側を満たしていく。これが幸せなのである。3分待ちパックを開ける。湯気の奥からチーズリゾットご飯が顔をのぞかせる。僕は何を考える間もなく口の中へかきこむ。あまりにもおいしすぎた。2人と相談し、明日天気が持つうちにいけるところまで行ってしまおうということになった。外にある荷物を濡れないようにテントの内側に移動し、明日のために就寝することにした。

夜中あまりの轟音に何回か目を覚ました

 

 

 

 

2日目

 

 

午前3時

アラームの音で目を覚まし、まだ日の出ていない外を確認する。どうやら雨は過ぎ去ったらしい。3人で朝食を囲み、今日の予定を決め、荷物を撤収し、出発した。昨晩の大雨で気づけなかったが、人生でトップ3に入るほどの美しい星空が広がっていた。いよいよ熊野古道の核心部に歩みを始めた。



午前3時半 那智高原公園出発

空気がひんやりと冷えた幻想的なスギ林の中をただひたすらに歩き続ける。

歩きながらずっとしりとりをしていた。これがかなり楽しく、あまり景色が変わらない熊野古道の時間つぶしに最適だった。

 

 

午前7時頃 休憩小屋到着

このような変な写真しかなく、申し訳ないのだが出発から4時間ほど過ぎ、空腹と寒さがきつく、ここの休憩所が天国のように感じた。あまりの空腹と寒さに、あったかーいコンポタージュを自動販売機で4つも買ってしまった。ここで30分ほど休憩をとった。

 

午前8時 休憩所出発

 

 

道中の写真

熊野古道は、平安時代から鎌倉時代にかけて、上皇や貴族たちが熊野三山を参詣する際に通った道で、熊野詣の行程として使われていた。熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社那智山青岸渡寺の総称で、自然崇拝を起源に神道、仏教、修験道の一大聖地として信仰を集めていた。景色にあまり変わり映えはないが、まるで、〇と〇の神隠しの世界を歩いているようで心躍る。また、途中途中に俳句の石碑が建っており、それを楽しみながら歩くこともできる。

 

 

 

午前10時頃 小口到着

熊野古道唯一の町小口に到着したとき、すでに歩き始めてから7時間が経っていた。結論からいうと、ここは最高のオアシスだった。まず、商店に入った。ガラガラと入口をあけ、中に入ると品の良い婦人が出てきた。”あなたたち今日はどちらから?”と聞かれたので、那智高原からと答えると、きれいに整えられた眉毛を動かし、にこやかに”ごくろうさま”と言ってくれた。これはこの先がんばる活力へと変換された。そしてチョコレートとレトルトハヤシライスを買い、店の食事スペースで食べた。これがあまりにもおいしく感動してしまった。そのご婦人は僕たちのためにお湯を沸かし、お茶を持ってきてくれた。本当に体と心が温まった。店の一角にどこかで見たことがある写真が飾ってあった。よく見てみると南方熊楠と書いてあった。実はここに来る前にやっていたしりとりで南方熊楠の話が出ていたのだ。奇遇だ。この店になんで南方熊楠の写真が飾ってあるのだろうと思ったので、ご婦人に聞いたところ、どうやらこの店の先祖だったらしい。よくよく見てみると店の入り口に南方商店と書いてあった。小学生の時に読んでいた本の登場人物のご氏族の方とこんなところで会うとは。この町は実にきれいで美しかった。四方を山に囲まれ、その間を清流が流れている。数十件の民家と商店、それから理髪屋と郵便局。ここには必要なものだけが必要な数だけある。必要なものだけで日々の営みが行われる。欲張らず心穏やかに暮らす。そのような心持をここの人たちには感じた。日本の原風景。久冨木はここに住みたいとひっきりなしに言っていた。ここで幼馴染の女の子と過ごしたいと。正直言って少し気持ち悪い。休憩中、川で水切りなどをして遊んだり、水浴びなどをした。とても気持ちがよく、いつまででも居れそうな気がした。3人で話し合い、今日このまま熊野本宮まで行ってしまおうということになった。もう7時間も歩き続け足にきてた。しかし、我々の目的地である熊野本宮はまだ20キロ先だ。気合で乗り切ってやると、重い腰を上げ、我々一向は出発した。

 

熊野古道道中

小口を抜けてすぐ、急登が1時間ほど続いた。かなり足にきたが、この急登を登り切れば、平坦な道が続きそこから熊野本宮まで下り坂なので気合を入れて驚異の170%のペースで登り切った。東屋があったので、休憩。休憩中我々は熊野本宮の近くに温泉があるということを知った。あぁ、最高。生き返る活力、温泉。その後は平たんな道をひたすらに歩き続けた。何回登って、何回下ったのかもうわからない。その間も我々は延々としりとりを続けた。もう何時間しりとりをしているのかわからない。きっとこの日の世界の長時間しりとりランキングがあったらトップ10入りはしていただろう。

 

 

15時頃 小休憩中にて

ここが熊野古道で一番景色がいいところだった。正直金毘羅山とかの方が景色においては全然いいだろう。しかし、ここの高台からゴールである熊野本宮が見えた。あと少し。そう自分に言い聞かせ残りの道を歩いた。

 

 

16時半 熊野本宮到着

着いた~~!!というのが本心である。朝早くから歩きに歩き続けようやくここまでやってきた。まず、到着してすぐにコーラを飲んだ。人生においてトップレベルでおいしいコーラだった。1日目は雨でどうなるかと思ったが、何とか天気も持ちこたえ、無事にゴールまでたどり着くことができた。優亮と弘樹にはいろいろとお世話になったありがとう。今回の山行は普段とは違いゴリゴリに山を登っていくというものではなかった。しかし、熊野古道を通し、日本古来の山の美しさや、神社仏閣の歴史、また、なんといっても仲間の大切さというものを強く感じた。この経験を来年以降の山行に生かしていきたいと思う。