活動報告@同志社山岳同好会

同志社大学の公認団体【同志社山岳同好会】の活動などを報告しています!

個人山行(上高地~烏帽子小屋)

14年度の海老名です。
 約1年ぶりにブログを書かせてもらいます。最近は、ブログ更新を他のメンバーに(押し付けていた)譲っており、ようやく出番が回ってきました。それもそのはず、OBとの2人での山行だったからです。
 今回の山行は、上高地から日本海までを踏破する計画でしたが、秋雨前線が長く停滞する予報のため、烏帽子小屋から高瀬ダムへと下山することになりました。今年は天気に恵まれた山行が多かっただけに、全行程の半分にも届かずに下山せざるを得なかったのは残念です。残りのコースは今後のお楽しみです。
 
【山域】 北アルプス上高地~烏帽子小屋)
 
【日程】 925()928() 34
 
【メンバー】 OB 松下さん(82年度)、海老名(14年度)
 
【行程概要】
1、松本=上高地~横尾~C1ババ平 <4.2p>
2C1槍ヶ岳山荘~C2双六小屋 <6.5p>
3C2~三俣山荘~鷲羽岳~水晶小屋~野口五郎岳C3烏帽子小屋<9.2p>
4C3高瀬ダム信濃大町駅 <2.5p>
 
1日目》
1300 上高地BT 出発
1422 1p (徳澤園)
1432 出発
1528 2p 
1538 出発
1638 3p (槍沢小屋)
1652 出発
1714 4p (C1 ババ平)
 
 京都駅から松本駅へ向かい、上高地線のホームで松下さんと合流しました。松下さんには岩トレでもお世話になっており、テント泊の山行はこれで2回目です。その場で荷物の分担を行いましたが、7日分のエッセンと行動食の多さには驚きました。
 上高地は日曜日であったためなのか、多くの観光客で賑わっていました。そんな観光客を横目に、我々は横尾方面へとひたすら歩いていきました。この日は久しぶりの晴れで、明神岳や屏風岩がよく見えました。一昨年、私が1回の夏にも同じ道を歩いて奥穂高へ向かったことが、まだつい最近のように思えました。もちろん、当時に比べれば体力や技術は身についてきています。ただ、今回の山行は現役の参加が私1人だけであったのは、今後の同好会を考えると少し残念でした。
 横尾まで軽快に進み、そこからは初めてとなる槍沢へと分け入っていきました。時間帯が遅かったこともあり、横尾以降はすれ違う人がすくなかったです。京都はようやく涼しくなってきましたが、槍沢ではすでにナナカマドの葉が色付いていました。この日はババ平でテントを張りました。
 
イメージ 1
 徳沢キャンプ場
(「夜9時以降の放歌等、騒音のもととなる行為は慎んでください」との看板が有り。)

2日目≫
500 起床
640 C1 出発
727 1
738 出発
820 2
830 出発
910 3p (殺生ヒュッテの下)
920 出発
948 5分休憩 (槍ヶ岳山荘)
1047 4p (千丈乗越の先)
1055 出発
1149 5
1156 出発
1240 6p (樅沢岳の手前)
1249 出発
1315 7p (C2 双六小屋)
 
 朝から雨が降っており、1日中弱い雨が降り続いていました。槍ヶ岳山荘までの登りは、視界が悪い上に雨や汗で雨具を着用していても(たとえ、GORE-TEXの雨具でも!) 、ビショビショで散々な登りでした。けれども、ゆっくりとした歩みであれば確実に身体は前へと進んでいきます。今回の山行では幾度となく、果てしなく見える上り坂を目にしましたが、「ゆっくりでも歩けば、ピークに達する」という当たり前の事を全身で学びました。
 槍ヶ岳にも登りたかったですが、生憎の雨なので先へと進みました。来年度の岩稜帯歩きの候補として、槍・穂高の大キレットを歩くことも考えているので、槍からの絶景はその時に期待しておきます。
 その後は西鎌尾根を進み、時折雲の合間に見える景色を励みに双六小屋まで歩きました。天気が良ければ三俣山荘まで足を延ばしたかったですが、全身ずぶ濡れ状態だったので、この日は双六小屋にテントを張りました。
 
 
イメージ 2
槍沢の登り 

3日目≫
330 起床
445 C2 出発
531 1
542 出発
640 2p (三俣山荘)
652 出発
735 3p (鷲羽岳の中腹)
742 出発
805 10分休憩 (鷲羽岳山頂)
900 4p (雲ノ平との分岐付近)
909 出発 928 水晶小屋通過
959 5
1010 出発
1058 6p (東沢乗越)
1108 出発
1150 7p (野口五郎小屋)
1204 出発
1256 8p (三ツ岳西峰)
1308 出発
1400 9p (C3 烏帽子小屋)
 
 朝から快晴で、意気揚々とテント場を後にしました。双六岳の巻道コースでは御来光が見え、北アルプス雄大な山脈が朝日に照らされていく光景を目の当たりにすることができました。刻々と表情を変えていく空に、先を急ぐ気持ちも忘れて暫く見とれてしまいました。やはり、縦走は景色がよくないと面白くないですね。
 三俣山荘の先には、鷲羽岳がまさに「鷹揚」な姿で往く手に構えていました。なんで、「鷹羽」ではなく、「鷲羽」なのでしょうか?どなたかこの山名の由来をご存知でしたら、ご教授ください。何はともあれ、鷲羽岳の山頂からの眺めは圧巻の眺めでした。
 鷲羽岳から先は黒部ダムを左手に眺めながら、細かい岩場や巻道を歩き続けていきました。剣岳穂高の岩稜帯とはレベルが異なりますが、所々にロープやハシゴがあるガレ場が続きます。雨で濡れていたら危ないですが、金毘羅で岩トレを繰り返してきたおかげで難なく通過することができました。岩稜帯歩きを目的とするだけでなく、アルプスの一般道を安全に通過するという目的でも、金毘羅での岩トレが有効だと分かりました。
 昼過ぎからは雲が出始めましたが、烏帽子小屋まで順調に進みテントを張りました。ただ、翌日以降は秋雨前線が再び停滞する予報なので、残念ながら下山することとしました。
 
イメージ 3
 きれいなモルゲンロート(朝焼け)

イメージ 4
 鷲羽岳の山頂より(槍・穂高方面)

イメージ 5
鷲羽岳の山頂より(黒部五郎・薬師方面)と松下さん

イメージ 6
鷲羽岳の山頂より(立山・烏帽子・燕方面)

イメージ 7
鷲羽岳の山頂にて(海老名)

4日目≫
430 起床
552 C3 出発
642 1
648 出発
742 2
748 出発
824 3p (高瀬ダム
 
 予想では雨がお昼頃から降ると考えていましたが、まさかの夜中からすでに降り始めていました。結局、雨具を着ながらの下山になり、また散々な下りとなりました。しかし、最大の難所は尾根を下りきった先に待ち構えていました。なんと、濁流の上に丸太が2本だけの橋を越えねばならなかったのです。しかも、表面は雨で滑りやすい。思わず苦笑いしましたが、何とか無事に渡りました。
 高瀬ダムからはタクシーで大町温泉郷へ向かい、冷えた身体を温めました。駅前のトンカツ屋はとてもボリュームがあり大満足でした!

イメージ 8
最後の丸太橋

 結果としては、泊数は普段の山行と大差ない3泊4日の個人山行でしたが、雄大北アルプスをこの目で見られたことと、歩いたコースを振り返って実感できたことは、他の山行と比べようのない充実感がありました。今回学んだエッセン技術(僕はラーメンモチは美味しいと思いますよ!)やテント生活は、他のメンバーに伝えて秋のテント泊から生かしていきます。
 また、残ったコースはぜひとも現役メンバーで歩いてみたいと思いました。

 最後になりますが、同行してくださったOB松下さんに感謝します。
 
同志社山岳同好会 14年度 海老名仁

撮影:松下さん、海老名
文責:海老名